2011年11月29日火曜日

はじめてこのページに訪れたかたへ      ~住民不在の建築制限~

3.11 の東日本震災によって壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市雄勝町。

 8か月以上を経過した現在、町の存続にかかわる大問題が起こっている。
住民が気が付かないうちに、行政の横暴により町が消滅しようとしているのだ。・・・

 「建築基準法第39条(災害危険区域)」

一言でいえば、永久に住居建築を禁止する建築規制のこと。

 石巻市は、住民に全く情報を伝えることなく今年12月2日から始まる
市議会でこの建築制限が可能となる条例を可決する方針という。
このような規制がかかると、雄勝町のような小さな町はひとたまりもない。

 雄勝町は、石巻市の中でも、リアス式の三陸海岸に面した人口4300人
(震災前)の活気あふれる町だった。

 かつて十五浜村と呼ばれた優良な漁港は、日本有数のホタテ・ホヤ・
カキの養殖や、カツオ漁に必須のえさとなるイワシの補給地として
有名で、豊富な水産資源に恵まれている。

 また、伊達藩御用達で600年の伝統を持つ「雄勝すずり」は、
国内すずり生産量の実に90%を占める。他にも国指定重要無形文化財の
「雄勝法印神楽」や、貴重な植栽で国指定天然記念物の「八景島」と、
ひとつの町で3つの国指定文化財を持つ地域は、全国的にも大変珍しい。
雄勝町を失うことは、石巻市だけでなく、国にとっても大きな損失ではないか。

 平成23年3月11日に雄勝町を襲った津波は、約250名の命を奪い、
町の9割もの建物を壊滅させた。家を失った約3500名の住民に対して、
市が町内に用意した仮設住宅はわずか500名分。残りの3000名は、
町外ばらばらに避難せざるを得なかった。

 避難所からの仮設住宅移行が遅れ、町内最後の避難所が閉鎖されたのは
9月末であった。仕事を失った方も多く、漁師は漁港が破壊され
船や網などもことごとく流出し、必死の思いで再建をしている状況だ。


 このような中で、町に衝撃が走った。

 10月15日に、石巻市から雄勝町全世帯に配布された「意向調査」なる文書は
「今から2週間以内に、高台に移転するかどうか決めること。
 決まらない世帯には今後永久に土地は用意しない」
という趣旨の内容であった。

 そもそも、雄勝町は高台移転に賛成の地区ではない。

 7月末に全世帯を対象に行われた住民アンケートの結果、回答数の
実に7割近くの世帯が、「元の土地をかさ上げなどすれば住める」
と、高台移転に消極的であった。 

 一部、急峻な地形の地区では住民の合意の元に高台移転を希望したが、
人口の大半を占める町の中心部は、移転するような広大な高台用地
はない。無理して小さな高台群を造成しても、町の活性化が
失われるだけでなく、山津波や鉄砲水で被害に遭う危険の方が高い。
元の土地を再利用することは地区住民の総意だ。

 同じような例は、北海道・奥尻島の例にも見られる。
最大29m高さの津波が襲い壊滅した奥尻島の集落がとった答えは、
元の地区を再利用することだった。高台移転で町の機能や活気が
失われることは、町の死を意味する、との意見が多数を占め、
8割の世帯は元の地区の嵩上げ地に住み、商店等と併存することで、
町は見事に復活した。


 11月に入り、石巻市の横暴はさらにエスカレートする。

 今度は、住民に全く前触れもなしに、強力な建築規制
「建築基準法第39条」を可能とする条例制定をはじめた。

 石巻市は、11月7日に「石巻市震災復興基本計画」を発表し、
同月15日から、市内全地区において市民との意見交換会を
企画した。しかし、市はこの意見交換会の中で39条の事は
一切触れていない。

 事前に建築規制の動きに気づいた雄勝町の住民は、11月27日に
行われた意見交換会で、条例反対の立場をはっきり示し、
亀山紘市長ほか、市の方針を決定する立場の要職から、
「住民の合意なしに規制はかけない」と約束をとりつけた。

 しかし、その翌日には、石巻市は住民との約束を反故にし、
何事もなく条例制定の準備をすすめた。抗議をしても
 「条例をかけないなんて、言った覚えもない」ととぼける。

 住民は、最後まで条例阻止をあきらめない。

石巻市震災復興基本計画の表紙には 
”最大の被災都市から世界の復興モデル都市石巻を目指して”
とうたっている。

 世界の復興モデル都市が、世界の「誤った復興モデル」に
ならないよう、少しでも力を貸してほしい。

5 件のコメント:

  1. 今晩わ。“39条”と言うものの話、始めて知りました。
    私は岐阜県の住人です。最近岐阜県中津川市で町長リコールの住民投票が直前まで行きました。問題の発端は乏しい予算の中で大型図書館建設を住民に十分な説明も無く行政主導で進めようとした事に住民が反対しました。議会で決議されたものの、図書館が不要なのではなく、市長のやり方が間違っている、と言う住民の反発でした。住民投票に必要な署名運動から始まり、短期間に有権者の60%以上の署名を集め、住民投票要求を合法的に行いました。住民投票が選管に認められ、住民側と行政側の投票工作が熾烈を極めました。投票日前日に成って市長は辞職し、市長選挙に出馬する手を打ちました。住民は市長の不甲斐ない判断と、住民投票を無にし無駄な経費や市民のエネルギーを消耗した事に対する非難は大きくなりました。市長選挙で住民の中から思いを実現する候補者を擁立できるか、市長側が落下傘候補者等を使ってでも巻返しを図るか?未だ未定です。先週の話です。行政に対する合法的な反対意志を示す為に、住民投票を考えられては如何でしょうか? 現地の地理的な知識が無いけれど心配なのは、元の住宅地を「嵩上げ」(どれ程か分かりませんが)するだけで町が復興するのかどうか?
    高台に移住しなくても元の場所で再興する為の更なる条件が有りそうですが、そうした事を含めて、住民の方達が主体となって「まちづくり」を主導される様に
    祈っています。国や県、地元行政がお上意識で何かやろうとすれば、住民無視です。名目だけの「住民の為」です。報道関係は地元住民の多数の意思の事実を報道せず、ずれた行政の「公式見解」を優先します。
    お節介ですが、天木さんからのメルマガを読んで、投稿させて頂けました。悪しからず。
    倉地

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  2. 私は石巻在住で3.11テロで被災したものです。
    雄勝支所の住民に対する対応を見てると住民の公僕としての公務員とはかけ離れた権力者の横暴としか思えません。特に役職を持った公務員は部下がペコペコするので自分が公僕で有る事を忘れるのしょう。亀山市長も市民の評判は悪いですね。前の土井市長は役所の人には大変厳しかったので煙たがれていた様です。そこで役所の連中はどうにでも操れる政治の経験がない学者先生を当選させたのだと思います。公務員は住民の税金で養って貰っていることを自覚してほしいですね。

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  3. 管理者の石井です2011年12月1日 19:25

    hi-nokitattami さん

    はじめまして、管理者の石井と申します。

    石巻は大変だと思っていましたが、中津川市のお話は、
    目を疑うような泥沼状態で、非常に驚いています。
    投票日前日に辞職とは、、、まるで子供です。

    中津川市の詳細な経緯は分かりかねるとしても、
    市の代表者としては、持論を貫くなら貫く、
    間違いを認めるなら認めるで、潔く堂々と振舞って
    欲しいですね。

    子供の頃は、市長さん、というと雲の上の偉い人なんだ、
    って思っていました。 最近は責任を取れない市長さんが
    多いのが残念です。


    雄勝へのご助言ありがとうございました。
    住民投票の話は、とてもいい方法だと思います。
    雄勝の問題は、町外に避難した総人口の7割の住民に
    対してどこまで情報が届くか分からないことです。
    先日行われた県議選でも投票率はかなり低かった記憶があります。

    ご関心頂き本当に嬉しいです。
    ありがとうございました

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  4. 管理者の石井です2011年12月1日 19:34

    匿名さん

    貴重な情報ありがとうございます。

    公務員は税金で食べていることもそうですが、
    何よりも、管轄住民の代弁者であるはずです。

    本来なら、支所は、市の方針と違っても支所が所管する
    住民の意見を尊重するべきです。
    市は県に対して、県は国に対しても同様です。

    現実は、上を向いてしか話せない方が多い
    というのは悩ましい限りです。

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  5. オザワ イタル2011年12月14日 2:49

    今年を象徴する言葉が「絆」といわれます。絆とは今を生きる人間だけの絆ではないでしょう。

    震災地を元のように復興して暮らしたいとする思いには、祖先から受け継いだ土地であり、より強く心の奥底に響いて、言葉では簡単に言い表すことのできないものだけれど、何かそこに祖先の息吹のようなものを、直感的に被災地の方々は感じておられるからなのではないでしょうか。

    そのような祖先からの絆を尊ぶ精神こそ日本人の心の本質なのであり、そういう日本人の心の本質を全く無視した復興政策は絶対に報われないと思います。

    「社会」の「社」とは神社を意味し、「会」とは人の集まりを意味します。社会とは神社を中心とした人の集まりが社会なのです。ですから、まず復興政策を考えるとき、祖先の大元としての絆の中心である神社の復興から着手すべきなのだと考えます。

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