2011年12月28日水曜日

石巻市震災復興基本計画 成案しました

石巻市ホームページより
■策定の趣旨 「石巻市震災復興基本計画」は、平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とその後に到来した巨大津波によって、甚大な被害を受けた本市が将来的な復旧、復興を実現していくための道標とするものです。
 石巻市議会(平成23年第4回定例会)におきまして、計画案が可決されましたので、下記のとおり「石巻市震災復興基本計画」を公表します。

http://www.city.ishinomaki.lg.jp/reconst/re_const_4_2_2_3.jsp
このページの下の方に、pdfファイルで計画がダウンロードできます。
全122ページ+参考資料9ページ。意外とサクサク読めます。

素案に比べ、雄勝に関する表現には様々な含みを持たせられて
おりますが、住居地、堤防、道路、開発に伴う土地代補償、
学校、医療などまだまだ重要な項目について未決定の要素が多いです。

この状態で今後を決められるか?といわれるとまだ物足りない感が
否めませんが、あくまで基本計画なので、市の方でもおそらく
市内も半島部も今後の進み方次第と思っているのではないでしょうか。

2011年12月23日金曜日

石巻市震災復興基本計画が修正・追記されました

石巻市HPより
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/mpsdata/web/7579/01-02revise.pdf

修正①
(箇所)東部市街地エリア・雄勝エリア・ 北上雄勝エリア・ 牡鹿エリア
(修正前)~安全な高台へ移転します
(修正後)~安全な高台へ~の移転を推進します。
(修正理由)石巻市震災復興基本計画(素案)に関する意見交換会を開催した結果、丁寧な住民合意形成を行うことが必要と考えられることから修正するもの。

追記①
(箇所)◆沿岸漁業の復旧・復興支援
(追記内容)
・被災した漁業集落及び港背後地の基盤整備を行い、生活環境の向上を図ります。
・施策・事業 :漁集落防災機能強化事業
・実施主体 :市
・実施時期 :復旧期 ~再生:復旧期
(修正理由)多様な生活のあり方ため、施策を追加。

2011年12月11日日曜日

戻りたい!が戻れる、に

12月10日、2回目の意見交換会が行われました。

高台移転を希望する方や、かさ上げして建築規制に反対する方など
活発な建設的な意見交換が行われました。

前回に比べ、怒号や野次も少なく、偏りの少ない有意義な会でした。

結論は

「高台移転が合意できた地区(集落)から先にすすめます。
 かさ上げなどを希望し、地区で話し合いをする地区(集落)は
地区の合意の上ですすめていきます」

といった趣旨です。

詳しくはまた別の記事で。

2011年12月6日火曜日

素晴らしいコメントを頂きましたので紹介します

◎素晴らしいコメントを頂きましたのでご紹介します◎

匿名さんのコメント...

 

100年スパンで考えた時、
「ここで生まれ育ったんだから、またここに住みたい。それだけよ」
という住民の願いは、復興への正解となりうるでしょうか?
地盤の嵩上げには、大きな財源が必要になると思われますが、はたしてそれが震災の備えとして、十分効果があるのでしょうか?

移転にメリット、デメリットがあるように、残ることにも正否両面があるわけですから、感情を交えずに、それら全部を比較すべきだと思います。特に、町の採算性については、慎重に検討すべきでしょう。

自然を甘く見てはいけません。次世代、またその次の世代の為にも、今の自分達の欲求は捨て、必要であれば、町を出て安全なところに移り住むべきではないでしょうか?

お上に従うのではなく、人としての生き方が問われているのだと思います。

私自身は、地元の行政に対して、強い不信感を持っています。でも、もし自分が過疎地域を内包する市の運営を任されたら、どのような決断をするだろうかと考えます。残念ながら、全員の要求は、通らない。そのことを理解しつつ、声を上げていくつもりです。

もし、石井さんが、今後真剣に雄勝の町づくりに関わるおつもりなら、ミクロとマクロの視点を忘れずに行動されるよう願います。兎も角怒ってはいけません。怒りは、目を曇らせます。



◎それに対する回答コメントは以下です◎

管理者の石井ですさんのコメント...

 

匿名さんへ

大変貴重なコメントに感謝いたします。
すべてのご指摘に対し、全くその通りと思います。

おっしゃる通り、高台移転も公営住宅もかさ上げも、
それぞれメリットとデメリットがあります。
雄勝の中でも地区ごとにどれが適しているかは
違ってくるはずです。10年先を考えた場合と
100年先を見越した場合でも変わってきます。

・今、津波を体験した人は怖さがわかるが、子孫の
 代まで考えたら高台に移って、同じ恐怖は繰り返
 さないほうが賢明だ

・かつて12000人いたのに、いまでは4000人だ。
 ここで高齢者が数百人ばかり高台に住むだけの
 町になったら津波が来る前に町が死ぬ

どちらも、ものすごく説得力があります。
私が市の担当者だとしても、ひとつに絞れといわれたら
悩みに悩みます。(今の行政は、『上がそういってるから
仕方ない』という責任回避で悩む必要ないそうですが)
 3つの事業を組み合わせて、早く良い案が
出来ることを望みます。


「ここで生まれたんだから、、、」
というコメントは、特にインターネットを普通に使える方で、
町づくりに関心のある町外の方を意識しました。

特に都会から来られる方からは、よく不思議そうに
『こんな危険なところ、一体誰が住むの?』と聞かれます。
悪気がなく、本当に理由がわからないそうです。

『職住分離すれば町は残るでしょ』ともっともらしく説明
される方もあります。

ひどい話では、
私が「みんななんとかこの町に残りたくて頑張っているん
ですよ~」というと
『こういうところに人を住ませるために、俺たちは税金払って
るんじゃねぇよ。NHKで消えゆく街なんていわれた通り町ごと
集団移転するべきだ』と真顔で言われることもあります。


とにかく、町外出身者が表に出てとやかく言うような町づくり
は健全ではないと自分でも思います。住民が中心となって真剣
に議論して言い合って自分達のまちをつくりあげていってほし
いです。 

怒りはできるだけ慎みます。
これまでの行政が、住民に議論する機会もあたえず、行政の都合で

答えを決めようとしたから怒っています。早く健全に話し合う状況が

できることを祈っています。

2011年12月5日月曜日

雄勝の住民が動き出した!

昨日のことです。

「石井さん、いったいどうなってんですか?水浜は高台移転の話ではなかったの?
 先日の意見交換会では、水浜は元の所にすむ話ばかり出たというけど」

と、仮設住宅に住む水浜地区の方が飛び込んできました。

石井「いえいえ、意見交換会では、そういう発言が出た、ということですよ。
   ところで、水浜ってみんなで話し合った事あるのですか?」

住民「いや、地区会費の分配、地区会の解散の報告のためには集まったけど
  ほかは話したことないね。」

石井「一度、話し合ってみたらどうですか? みんないろんな意見があるようですよ」

住民「そうだね、じゃ、地区会長さんにでも相談してみるか」


 今日、また水浜地区の方が相談に来られました。

住民「前の意見交換会では、規制反対の意見も出たらしいね。どんな雰囲気だったのですか?」

石井「いえ、規制反対の意見が出たどころか、出る意見はほとんど規制反対でしたよ。
    水浜からも3人の方が、高台でなく、時間かけてもいいから元の土地でいいと発言あったし。
    必ずしもそれがすべてではないけど、少なくとも、雄勝の総意が『すべて高台移転』
    ではないようですね」

住民「そうなんだよな、私は、今の土地を2,3mかさあげすれば、あとは堤防を直して、
   避難道路を作ってくれれば、十分住めると思ってるんだけどな。
   この辺りの人はアパート暮らしは合わないし、自分の土地以外に新たに家を建てる
   人はそういないんじゃないかな。 大事なことだし、みんなで考えないとね」

ほかにも、おがつ店こ屋街(雄勝に11/19オープンした仮設商店街)に
買い物に行った先で会ったまちづくり協議会委員の方も、
「ま、みんなが自分で考えるようになったということで、それがいいんだよ」
とホッとした表情でした。


船越地区では、
「うちの地区なんて、百数十軒あったのに今では1軒しか住んでない。
 それでも、4月から、日曜ごとに元住んでいた方々に何度も何度も
集まってもらって、議論して、勉強会を開いて、話をまとめてきたんだ。

 スーパー堤防を作る話も出たし、土地をかさあげする話もあったし、
高台に移る話も出たし。 それらをみんなであぁでもない、こうでもない
と意見を言い合って、最終的に、高台移転しようという話になったんだよ。
今でも月一回必ず集まって話し合いを続けているし、そのあとにも
勉強会を開いて、今日も45人が参加して話し合ってるんですよ。
 
一人残らず全員が納得する答えというのは難しいけど、みんなで
話で決めることが大事だよ。どうすればみんなが戻ってこれるか?
それを話し続けたのがよかったよ」

と、のことでした。

この地区では、震災直後は13世帯しか帰ってくると表明した人が
いなかったそうです。しかし、話し合いを続けた結果、一人増え一人増え、
いまでは50世帯以上がはっきりと帰ってくると言ってくれていると。
迷っている方も、できるだけ帰れるようにみんなで考えている
そうです。

この地区の話で、本当に感心したことが、

「やっぱり、家の事情ですぐには帰ってこれないという人がいます。
 この人たちが、後から帰ってきても、温かく迎えるようにしよう」

と、話し合いの中でみんなが約束しているとのことです。
ここまでの配慮は、話し合いを続けてきた地区だからこその、細かい配慮です。

 先日、このホームページのコメントにて
「外の人がこんな活動やらなくても、、、」と意見を頂きましたが、
各地区の住民が自発的に自分の町のことを考えるように動き始めたのは
大きな前進です。

2011年12月3日土曜日

雄勝のまちづくり方針 現状 (雄勝の方々、市長、市職員、への解説)

これまでのやりとりで明らかになったことは、
関係者と個別に話をすると、

今日現在では、

住民、まちづくり協議会委員の半数、雄勝総合支所上層部、石巻市役所本庁、市長。

つまり、大多数の関係者は、雄勝地区の復興について概ね同じ認識があります。

 1. 十分な住民の話し合いにより高台移転を決めている地域は早く計画を進める

 2. 土地かさあげなどしたい中心部は十分住民協議してから話を進める

と、まぁ、当たり前のことです。

 
 11/15までは、雄勝総合支所長、次長、自称高台担当は揃って、

『予算の関係上、雄勝はひとつの方針(つまり全地区高台移転)が必要。
 また、浸水域はすべて建築規制をかけて人を済ませない方針』

でした。 ですから、猛烈に抗議したのです。

 11/29の雄勝総合支所への抗議において、支所長、次長は、認識が
変わったことを明らかにしました。
 しかし、実際に住民との窓口に立つ職員の認識が変わらなければ
単なる責任逃れです。

実際に、支所長・次長は抗議を無視しました。
相変わらず、市職員の一方的な住民合意宣言(以下)は止まりません。

雄勝地区震災復興まちづくり協議会は「雄勝地区全体の復興計画を
雄勝総合支所に提出し、とりあえず復旧・復興の意見集約と
市へ提案する事業は終了しました」 

と、協議会委員宛てに文書を出す愚行に出ました。 

せっかく、11/27の意見交換会で
市長や支所長が、住民の意見を取り上げると約束したのに、
また無駄になりました。 つまりは、石巻市の内部反抗です。
一職員の単なる意地が支所長や市長の顔に泥を塗っています。


 以上、非常にローカルな話ですが、わかる方にはよくわかると思います。

2011年12月1日木曜日

12月10日(土)午後2時~ 河北ビッグバン 意見交換会 / 石巻市主催 開催します。

雄勝のみなさまへ

 石巻市主催で、
12月10日(土)午後2時から、石巻市と住民との意見交換会が行われると、
雄勝総合支所からの通知が届きました。



「石巻市災害復興計画(素案) 第2回・意見交換会」

日時 平成23年12月10日(土) 午後2時から

場所 ビッグバン石巻市河北総合センター )1F 交流ホール
    住所: 石巻市成田字小塚裏畑54 



また、12月9日(金)午後2時半から  
 雄勝地区震災復興まちづくり協議会 が開催されます
  町民はどなたでも傍聴できます。