2012年9月6日木曜日

石巻市雄勝町の復興: 大学アドバイザーの誤算 その4

雄勝の中心部(伊勢畑・上雄勝・下雄勝・味噌作・船戸)には、震災前に618世帯・1668人が暮らしていました。

震災によって、中心部は原地区を除き、わずか数軒を残し全て壊滅してしまいました。

家を失った約550世帯/1500人の住民に対して、石巻市が雄勝中心部の住民のために建設した町内の仮設団地は、1か所・42世帯分のみでした。 入居数は37世帯/78人(石巻市資料)。


残りの人は?

隣町、旧河北町の2か所の仮設住宅団地に約150世帯・350人程度、雄勝町(中心部以外の集落も含む)の方が固まって住んでいる程度で、約8割の中心部被災者は、町外~県外に全くばらばらに離散しています。
住民同士でさえ、お互いがどこにいるか分からない状態です。


さて、

アドバイザーの方々は、「住民から話を聞いて計画を立てました」と説明しますが、
誰から聞いたのでしょう?

震災以降、中心部の部落会は機能しておらず、住民同士の話し合いはありません。
”雄勝地区震災復興まちづくり協議会”で、中心部からの避難住民がこう思っている、と、部落会から意見が出たことはありません。
大学が話し合いの場を企画した形跡もありません。

唯一、雄勝中心部について話し合う住民組織である「雄勝地区を考える会」がありますが、ここにアドバイザーの方々が来たことはありません。


聞けるはずがないでしょう。 住民でさえ話し合えない状態で、たまに雄勝に顔を出すアドバイザーや学生が、住民の意見を引き出して計画を作ることなどありえません。

結局、
石巻市(雄勝総合支所)の職員と、アドバイザー、建設コンサルタントが、
国や県の方針に沿って考えた、住民不在のままで案を作っていることが
露呈したのです。


避難して暮らす住民が、時間を割き、遠くからも来た説明会を、学生の発表会にしてしまったことが今まで隠されていた事実を表に出してしまったのです。

(その5に続く)






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