昨日のことです。
「石井さん、いったいどうなってんですか?水浜は高台移転の話ではなかったの?
先日の意見交換会では、水浜は元の所にすむ話ばかり出たというけど」
と、仮設住宅に住む水浜地区の方が飛び込んできました。
石井「いえいえ、意見交換会では、そういう発言が出た、ということですよ。
ところで、水浜ってみんなで話し合った事あるのですか?」
住民「いや、地区会費の分配、地区会の解散の報告のためには集まったけど
ほかは話したことないね。」
石井「一度、話し合ってみたらどうですか? みんないろんな意見があるようですよ」
住民「そうだね、じゃ、地区会長さんにでも相談してみるか」
今日、また水浜地区の方が相談に来られました。
住民「前の意見交換会では、規制反対の意見も出たらしいね。どんな雰囲気だったのですか?」
石井「いえ、規制反対の意見が出たどころか、出る意見はほとんど規制反対でしたよ。
水浜からも3人の方が、高台でなく、時間かけてもいいから元の土地でいいと発言あったし。
必ずしもそれがすべてではないけど、少なくとも、雄勝の総意が『すべて高台移転』
ではないようですね」
住民「そうなんだよな、私は、今の土地を2,3mかさあげすれば、あとは堤防を直して、
避難道路を作ってくれれば、十分住めると思ってるんだけどな。
この辺りの人はアパート暮らしは合わないし、自分の土地以外に新たに家を建てる
人はそういないんじゃないかな。 大事なことだし、みんなで考えないとね」
ほかにも、おがつ店こ屋街(雄勝に11/19オープンした仮設商店街)に
買い物に行った先で会ったまちづくり協議会委員の方も、
「ま、みんなが自分で考えるようになったということで、それがいいんだよ」
とホッとした表情でした。
船越地区では、
「うちの地区なんて、百数十軒あったのに今では1軒しか住んでない。
それでも、4月から、日曜ごとに元住んでいた方々に何度も何度も
集まってもらって、議論して、勉強会を開いて、話をまとめてきたんだ。
スーパー堤防を作る話も出たし、土地をかさあげする話もあったし、
高台に移る話も出たし。 それらをみんなであぁでもない、こうでもない
と意見を言い合って、最終的に、高台移転しようという話になったんだよ。
今でも月一回必ず集まって話し合いを続けているし、そのあとにも
勉強会を開いて、今日も45人が参加して話し合ってるんですよ。
一人残らず全員が納得する答えというのは難しいけど、みんなで
話で決めることが大事だよ。どうすればみんなが戻ってこれるか?
それを話し続けたのがよかったよ」
と、のことでした。
この地区では、震災直後は13世帯しか帰ってくると表明した人が
いなかったそうです。しかし、話し合いを続けた結果、一人増え一人増え、
いまでは50世帯以上がはっきりと帰ってくると言ってくれていると。
迷っている方も、できるだけ帰れるようにみんなで考えている
そうです。
この地区の話で、本当に感心したことが、
「やっぱり、家の事情ですぐには帰ってこれないという人がいます。
この人たちが、後から帰ってきても、温かく迎えるようにしよう」
と、話し合いの中でみんなが約束しているとのことです。
ここまでの配慮は、話し合いを続けてきた地区だからこその、細かい配慮です。
先日、このホームページのコメントにて
「外の人がこんな活動やらなくても、、、」と意見を頂きましたが、
各地区の住民が自発的に自分の町のことを考えるように動き始めたのは
大きな前進です。
JMMのfrom MRICの投稿を読んで、こちらを訪ねてきました。
返信削除実は、10月末から11月初めにかけて、職場の同僚や友人たちと一緒に、東京から、雄勝の名振、船越、大須などの仮設住宅へ救援物資を届けに行ってきました。被災地へ行くのは初めての方もいたのですが、現地の方の温かい心に触れて、こちらの方が元気をもらってきたくらいでした。
雄勝のことは、他人事とは思えない気持ちです。それだけに、今回の、住民の意向を無視した建築制限の強行は、なんとか食い止めたいと思っています。
何か力になれることがあればと思うのですが……
mokky0135さま
返信削除コメントありがとうございました。雄勝に救援物資をお届け頂き大変嬉しく思います。ありがとうございました。
何より、雄勝の将来にとって最もいい形になればと思うばかりです。海の幸あり、文化あり、そして人情ありと、本当に素敵な雄勝を是非皆さんにご紹介ください!
こんな素敵な町が元気になってほしい、と一人でも多くの方に関心を持って頂くことをお手伝い頂ければ十分です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。